馬門山海軍墓地墓前祭挙行   

 第62回横須賀馬門山海軍墓地墓前祭が、平成29年5月14日(日)午前9時30分から約一時間にわたって新緑鮮やかな同墓地(横須賀市根岸町一丁目五番地)において厳粛に執り行われました。

 墓前祭は例年5月の第2土曜日に行われているところ、今回は練習艦隊の入港歓迎関連諸行事と重なったため、一日繰り下げて行われたものです。

 墓前祭の主催者は、横須賀水交会、隊友会横須賀支部、大津観光協会、大津地区社会福祉協議会、大津地区連合町内会の計5団体の共催であり、当会有志会員も受付、会場案内、準備・撤収作業など式典運営の中核を担いました。

 なお、前日の豪雨の名残はあったものの準備に万端を尽くした結果、行事の進行に全く支障はありませんでした。

 参列者は、ご遺族並びにその関係者を始め、来賓として吉田雄人横須賀市長、小泉進次郎衆議院議員、三浦信祐参議院議員、牧島功及び亀井貴嗣両神奈川県議会議員、木下憲司横須賀市議会議長、青木秀介及び西郷宗範両横須賀市議会議員等、海上自衛隊からは道満誠一横須賀地方総監、井上司自衛艦隊司令部幕僚長、佐藤賢上潜水艦隊司令部幕僚長、下淳市第2術科学校長、池田秀人横須賀教育隊司令、染田良弘横須賀警備隊長、桑原正明横須賀基地業務隊司令等、さらに主催五団体それぞれの長・会員並びに一般参列者等計約370名(内当会からは35名)であり、祖国のために散華された英霊を追悼するとともに、わが国及び世界の恒久平和に祈りを捧げました。

 墓前祭は、「国歌斉唱」に続き隊友会横須賀支部長及び横須賀市長の「追悼のことば」、「黙とう」、海自儀仗隊による「拝礼」及び「弔銃発射」、「献花」の順に円滑に行われました。

 主催者を代表して隊友会横須賀支部長佐々木俊也氏は、追悼のことばの中で、墓地に眠る御霊に追悼の意を捧げるとともに、再びわが国を戦火に晒すことのないよう全力を尽くすこと、及び平成25年の墓石等の修復工事に引き続き墓地の環境整備にも努力することを墓前に誓いました。また、来賓代表の横須賀市長は、今の隆盛が国民の命綱として散華された御霊のおかげであること、また戦艦むつの砲身の里帰りや第四艦隊殉難について新たな事実が判明したことなどと共に墓前祭が行われることは、横須賀が過去から未来へ歴史をつなぐ地であると述べました。
 

 馬門山海軍墓地は、明治15年(1882年)に海軍省が戦死、若しくは殉職した海軍軍人の埋葬地として開設したものであり、以後、横須賀鎮守府が終戦まで管理運営を担当していました。昭和24年(1949年)、横須賀市が横須賀地方復員局から維持管理を引き継ぎ、以後、一般墓地を造成しつつ、現在に至っています。

 当墓地には軍艦「河内」、「筑波」等の殉職者、上海事変戦死者等、海軍軍人の英霊1592柱が殉職者之碑・個人墓等に祀られていますが、個人墓の古いものは設置されてから約130年が経過し損傷が激しく、一部には倒壊しているものもあったことから、先に述べたとおり公益財団法人水交会(横須賀水交会が実務を担当)は、平成25年に半年間をかけて工事(対象墓石約235基を可能な限り元の状態に修復)を行いました。

 このように墓地を適切に維持整備していくことは、馬門山海軍墓地の一層の周知を図り、平和と独立、安全の尊さを訪れた市民に訴えるものであることをよく認識する必要があるでしょう。

 
  今回も海自横須賀音楽隊の支援が得られました。音楽隊は、「君が代」、「国の鎮め」など式典最中の演奏のみならず、開式までの間に「巡検ラッパ」などを演奏し、墓地に眠る御霊を鎮めるとともに、会場を荘厳かつ和やかな雰囲気に包んでくれました。

 さらに湘南学院高等学校学生による受付や献花の支援活動もすっかり定着し、墓前祭には欠くことができなくなっています。若者達のこうした地道な活動が、御霊の遺志、参加者の思いを将来に継いでくれるに違いありません。

 
 なお、読売新聞、神奈川新聞及びジェイコム湘南がこれら墓前祭を取材しました。

 最後に、前日の豪雨の中の準備や撤収を全面的に支援してくれた横須賀教育隊隊員の皆さん、整然と切れのある動作で高い練度を示してくれた横須賀警備隊儀仗隊の皆さんなど海自横須賀地方隊関係各位の絶大な支援に対して、主催各団体の深甚なる感謝の意が表されたことを付記します。

 (濱田 暢喜 幹事 記)