「水交会」 は、1876(明治9)年に設立された日本海軍将校の親睦・研究団体「水交社」に端を発します。 水交社は、海軍士官のために設けられた福利厚生施設で宿泊施設、宴会、軍装品から日用品にいたるものまでの販売などを日常業務とし、水交社記事という機関紙の発行など出版事業も行っていました。 水交社は、海軍士官クラブの全国組織とでも言うべきもので「海軍高等武官、候補生、海軍高等文官及び試補(明治19年の頃少尉候補生に改められました)をもって組織され、これを社員と称しました。総裁には皇族を戴き、社長は時の海軍大臣でした。 |
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1945(昭20)年
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終戦とともに解散 | |||||||||
1952(昭27)年 | 任意団体 「水交会」 として新たに発足 | |||||||||
1954(昭29)年 | 厚生省所管財団法人として認可を受ける | |||||||||
1969(昭44)年 | 「水交荘」(東京都港区芝白金三光町)から渋谷区神宮前1-5-3・東郷神社境内の「水交会館」(東郷記念館の1階部分」に移転 |
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東郷神社社殿 | 東郷記念館 | |||||||||
1997(平09)年 | 「海上自衛隊に対する必要な協力を行う」ことを新たに目的に追加し、「海上自衛隊殉職隊員の慰霊等、海上自衛隊に対する必要な協力事業」を追加するための寄付行為の一部変更を実施するとともに、厚生省と防衛庁の共管法人として改めて認可を受ける | |||||||||
2001(平13)年 | 4月 1日 海上自衛隊OBで組織していた任意団体「海上桜美会」と合同 | |||||||||
2001(平13)年 | 4月21日 1994(平成6)年から活動してきた「横須賀桜美会」及び海軍関係者の親睦団体として 活動してきた「横須賀海友会」との合同を総会で議決し現在の「水交会」に至る | |||||||||
2011(平23)年 | 6月23日、内閣総理大臣より公益財団法人と認定され、同年7月1日設立登録を行った。 | |||||||||
水交会は、次の12ヶ所に支部を置いています。 | ||||||||||
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「公益財団法人 水交会」の詳細は、こちらへどうぞ!![]() |
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これらの中でも「横須賀水交会」は、呉、佐世保及び舞鶴とともに海軍の一大軍港であった横須賀に在って、積極的に会の活動を推進しています。 横須賀は、ペリーが浦賀に来航した徳川時代末期から、日清及び日露戦争、第1次世界大戦、そして太平洋戦争(第2次世界大戦)を経て海軍とともに発展してきました。戦後は、港の主要部分が米軍に接収されましたが、1952(昭和27)年に海上自衛隊の前身たる海上警備隊が創設され、横須賀地方総監部が置かれて以来、70年以上にわたって海上自衛隊とともに新たな発展を遂げつつあります。 そして、横須賀とその周辺には、我が国民が列強諸国の圧力や干渉に屈することなく、強靱な精神と大いなる努力精進をもって、雄々しく生きてきた証が多く残されています。 「横須賀水交会会則」(平成21年9月28日) |
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私達「横須賀水交会」 約900名は、今日の平和で豊かな日本を築く礎となった海軍の偉業とその陰で犠牲となられた方々を顕彰し、海軍の良き伝統精神を継承しながら、海軍の後継者たる海上自衛隊が益々その力を発揮できるよう支援協力を進めてまいりたいと念じております。 |
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![]() ● 卓球同好会 実施日:第1、第3土曜日 場 所:横須賀市北部体育館 少人数で発足した卓球同好会ですが、今では40名を超える会員が所属 しています。 会員は皆真剣に練習に励んでおり、メキメキと上達しています。 また、年2回くらいは、部内試合や懇親会を行い、懇親を深めています。 興味のある方は、ぜひ見学や遊びにいらしてください! ● カード同好会 実施日:第2、第4土曜日 場 所:横須賀総合福祉会館 |