第61回横須賀馬門山海軍墓地墓前祭が、平成28年5月14日(土)午前9時30分から約1時間にわたって新緑鮮やかな同墓地(横須賀市根岸町1丁目5番地)において厳粛に執り行われました。
今回は、主催5団体(横須賀水交会、隊友会横須賀支部、大津観光協会、大津地区社会福祉協議会、大津地区連合町内会)のうち当会が主幹事となり、例年の受付、会場案内、準備・撤収作業などに加え、司会、追悼のことば奉読などを担当しました。
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参列者は、ご遺族並びにその関係者を始め、来賓として吉田雄人横須賀市長、板橋衛横須賀市議会議長、小泉進次郎衆議院議員、牧島功神奈川県議会議員、木下憲司横須賀市議会議員等、海上自衛隊からは杉本孝幸横須賀地方総監部幕僚長、内嶋修自衛艦隊司令部幕僚長、佐藤賢上潜水艦隊司令部幕僚長、下淳市第2術科学校長、池田秀人横須賀教育隊司令、御影清彦横須賀警備隊副長等、米海軍からマシュー・ジェイ・カーター在日米海軍司令官及びジョセフ・ディ・ファーニー地域最先任上級兵曹長、さらに主催5団体それぞれの長・会員並びに一般参列者等計約370名(内当会からは35名)であり、祖国のために散華された英霊を追悼するとともに、わが国及び世界の恒久平和に祈りを捧げました。
なお遺族会が解散し、今回からその参加が得られなくなったことは、一抹の寂しさと時の流れを感じさせるものでした。
墓前祭は、「国歌斉唱」に続き中尾誠三会長及び横須賀市長による「追悼のことば」、「黙とう」、海自儀仗隊による「拝礼」及び「弔銃発射」、「献花」の順に円滑に行われました。
中尾会長は、追悼のことばの中で、わが国の隆盛が墓地に眠る方々の犠牲を礎としていることに深い尊崇の念と感謝の意を表するとともに、昨今頻発激化する自然災害やテロなどの危機を回避し、わが国が今後も平和と安定を享受できるよう今我々がやるべきことは、英霊が往時に体現発露した健全な愛国心などの伝統的な精神の普及と継承に努めることだと述べました。
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馬門山海軍墓地は、明治15年(1882年)に海軍省が戦死、若しくは殉職した海軍軍人の埋葬地として開設したものであり、以後、横須賀鎮守府が終戦まで管理運営を担当していました。昭和24年(1949年)、横須賀市が横須賀地方復員局から維持管理を引き継ぎ、以後、一般墓地を造成しつつ、現在に至っています。
また、当墓地には軍艦「河内」、「筑波」等の殉職者、上海事変戦死者等、海軍軍人の英霊1592柱が殉職者之碑・個人墓等に祀られていますが、個人墓の古いものは設置されてから約130年が経過し損傷が激しく、一部には倒壊しているものもあったことから、公益財団法人水交会(横須賀水交会が実務を担当)は、平成25年に半年間をかけて工事(対象墓石約235基を可能な限り元の状態に修復)を行いました。
このように墓地を適切に維持整備していくことによって、馬門山海軍墓地の一層の周知と墓地を訪れる市民の増加を図るとともに、平和や安全について考える契機を促すことも期待できることから、その重要性については、あらためて認識する必要があるでしょう。
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今回も海自横須賀音楽隊の支援が得られました。音楽隊は、開式までの事前演奏や「君が代」、「国の鎮め」、拝礼・弔銃発射・献花時の演奏によって会場を荘厳かつ和やかな雰囲気で包むなど、今や式に欠くことのできない存在となっています。
さらに湘南学院高等学校学生による受付や献花の支援活動もすっかり恒例となっています。こうした地道な活動は、今の日本が多くの尊い犠牲に支えられているという事実を若者達が理解する良い機会となっています。
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なお、読売新聞、神奈川新聞及びJ:COM湘南がこれら墓前祭を取材しました。
最後に、毎回元気な挨拶でさわやかに式の準備撤収を支援してくれる横須賀教育隊隊員たち、一糸乱れない動作で高い練度を発揮してくれた横須賀警備隊儀仗隊など海自横須賀地方隊関係各部の支援に対して、主催各団体から深甚なる感謝の意が表わされました。
(濱田幹事 記) |
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