横須賀市根岸町1丁目5番地 (旧番地:根岸町1丁目27番地の1) (国道134号線を久里浜に向かい、シーアイマンション手前約30mを左折) |
敷 地 | 7,420坪 (24,528 平方メートル) |
墓 地 | 上 段 377坪 |
中 段 144坪 | |
下 段 117坪 | |
計 638坪 |
明治14年 1月 | 東海(横須賀)鎮守府長官から海軍卿に馬門山海軍埋葬地設定の必要方を上申 |
明治14年 3月 | 海軍省は内務省と交渉し、海軍埋葬地として神奈川県三浦郡公郷村支配地内、官有馬門山のうち約2町3段4畝15歩を海軍省用地に編入 |
明治14年 9月 | 海軍埋葬地として工事に着手 |
明治14年12月 | 工事完了 |
明治15年 1月 | 馬門山海軍埋葬地と定め、事後、横須賀鎮守府がこれを管理運営 |
昭和 7年 1月 | 祭場及び参道の改修完成 |
昭和 7年 8月 | 拝霊堂を建設 |
昭和20年12月 | 海軍省廃止に伴い、海軍関係の国有財産は一切大蔵省に移管されたが、横須賀鎮守府の後継庁たる横須賀地方復員局が引き続き管理 |
昭和21年 6月 | 旧軍用墓地の処理方針について大蔵次官・内務次官から大綱が通牒される |
昭和24年 4月 | 前記方針に基づき横須賀市と協定し、同市が墓地の維持管理を引き継ぐ 横須賀市は墓域を拡張して一般墓地を造成 |
昭和24年10月 | 横須賀市は墓地を一般市民の利用に供する |
昭和26年 3月 | 横須賀市に譲与 |
昭和26年10月 | 納骨室を増設 |
1 | 単独埋葬者墳墓(明治15年1月22日〜昭和16年) | 271柱 | |
士 官 | 4柱 | ||
特務士官 | 1柱 | ||
準士官 | 2柱 | ||
生 徒 | 2柱 | ||
下士官 | 27柱 | ||
兵 | 235柱 | ||
2 | 軍艦河内殉難者之碑 (大正8年2月建設) 大正7年7月12日山口県徳山港において軍艦河内爆沈の際殉職した621名の英魂を永く弔うため建設 (建設発起人及び題字:旧河内艦長正木義太) |
621柱 | |
3 | 軍艦筑波殉難者之碑 (大正8年4月建設) 大正6年1月14日横須賀軍港において軍艦筑波遭難の際殉難した152名の英魂を永く弔うため建設 (毫額:東伏見宮依仁親王、題字:海軍大将名和又八郎) |
152柱 | |
4 | 特務艦関東殉難者之碑(大正14年4月建設) | 68柱 | |
大正13年12月12日暴風雪のため福井県南条郡河野村糠浦海岸に座礁した特務艦関東の殉職者68名の英魂を永く弔うため建設 (建設委員長:寺岡平吾、題字:海軍中将加藤寛治) |
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5 | 北京籠城軍艦愛宕戦死者之碑 (昭和7年8月29日移設) 明治33年北清事変の際、軍艦愛宕から陸戦隊員として北京に派遣され、籠城中壮烈な戦死を遂げた5勇士のため、その翌年、艦長以下乗員一同により明治34年5月横須賀市大勝利山天栄寺境内に建設されてあったが、同寺が市外に移ることとなったので、これら5勇士を海軍墓地に合祀し永遠にその遺霊を慰めるためこの地に移転 (題額:海軍大将伊東祐亭、撰井書:艦長海軍中佐竹内平太郎) |
5柱 | |
6 | 上海事変戦死者之碑 (昭和8年1月建設) 上海事変において戦死した59名の英魂を永く弔うため建設 (題字:海軍中将野村吉三郎) |
59柱 | |
7 | 第四艦隊遭難殉職者之碑 (昭和11年9月建設) 昭和10年度海軍大演習に参加中、同年9月26日北海道東方海面(北緯40度30分、東経146度52分)において台風のため遭難殉職した30名並びに同年9月17日北海道室蘭港内において乗艇沈没の際遭難殉職した6名の英魂を永く弔うため建設 |
36柱 | |
8 | 支那事変大東亜戦争戦没者忠霊塔 (昭和21年8月建設、28年9月23日完成) 昭和12年支那事変勃発し次いで大東亜戦争となり皇国未曾有の危局に際して祖国のため勇躍従軍して戦死を遂げ或いはその職に殉じ又は病魔のため不帰の客となれる旧横須賀鎮守府管下諸英霊の忠誠を記念し永遠にその遺烈を語り伝えるため建設 (題字:元海軍中将戸塚道太郎、由来記:元海軍少将古村啓蔵) |
372柱 | |
9 | 猿丸重野女史留魂碑(昭和28年9月建設) | 1柱 | |
上海において特志看護婦として海軍のために献身的な奉仕を果たし、「海軍婆さん」の愛称で親しまれた故猿丸重野女史(昭和28年2月3日横須賀市で永眠)の遺徳を永遠に顕彰し以て霊を慰めるため建設 | |||
10 | その他の墳墓(昭和22年5月〜23年7月埋葬) | 6柱 | |
大東亜戦争中の戦死・殉職者6名を埋葬 | |||
明治15年1月 | 墓地開設以来、随時祭祀が行われていた |
大正 6年 | 弔祭内規制定 |
以後毎年1回横須賀鎮守府の主催で、司令長官、幕僚、所轄長、管下各部代表及び遺族参列のもとに、当墓地において神式、仏式交互に祭典が行われた | |
昭和20年11月29日 | 第29回目の祭典が最後となる |
昭和21年〜昭和28年 | 伊藤兼松氏(伊藤産業株式会社々長)が自費をもって会社勤務員一同とともに、毎年春秋2回(彼岸の中日)の祭祀とともに墓地内の清掃を黙々として行われた |
昭和28年 9月23日 | 横須賀地方復員部と横須賀市との共催でささやかな慰霊祭を行う |
昭和29年 9月23日 | 同 上 |
昭和30年 5月22日 | 横須賀市主催で盛大な招魂祭を挙行 |
昭和31年〜 | 毎年春季、旧大津海軍練兵場において横須賀市主催の招魂祭が盛大に挙行され、その前日、祭典委員によって馬門山墓前祭を厳粛に執行 |
現 在 | 毎年春季、横須賀市戦没者合同慰霊祭(文化会館)の前日、祭典委員のほか、横須賀市長、市議会議長、海上自衛隊横須賀地方総監、同幕僚長、陸海自衛隊各幹部、地元市議会議員、地元市政有功者、遺族会支部長、同遺族、大津支所管内各町内会(自治会)長、同民生委員、保護司、日赤奉仕団分団、隊友会、郷友会、地域小中学校長、大津神職会、大津仏教会、神社氏子代表、幼稚園長、管内各事業所代表者、管内各商店会々長、大津支所長他職員、一般参拝者の参列のもと厳粛な墓前祭を執行 |
墓前祭の主催者は次の6団体: | |
・ 横須賀市大津地区連合町内会 | |
・ 大津観光協会 | |
・ 大津地区社会福祉協議会 | |
・ 晨洋会 | |
・ 横須賀水交会(横須賀海友会から引継) | |
・ 隊友会横須賀支部 | |
出 典: | 大津郷土誌刊行会「大津郷土誌」 行政センター落成記念(昭和56年11月1日発行) |